皆さんこんにちは。
こってりした味がたまに恋しくなるヨシコシです。

今朝はエッグベネディクトを作ってみました。
パンの上に乗ったバターと卵黄のオランデーズソースは
朝からちょっと濃厚ですが、
ポーチドエッグの白色に柔らかな黄色のソースが
トロトロと広がる目に優しい料理です。

通常はマフィンを使いますが、
セントル ザ・ベーカリーの食パンを妹にもらったので
食パンを厚切りして
エッグベネディクトを作ってみました。

エッグベネディクト
食パンのエッグベネディクトに
網焼きした舞茸を添えて。

「貴様、食パンでエッグベネディクトを作りおって!
料理人の風上にも置けん。クビだ!」

「ご主人様、ご勘弁を!
(私は料理人じゃありませんし)」



さて、


このように、曖昧な慣例の一つに

家の天井の高さなどあろうかと思います。
 

でも、一体誰が
高さを
2.4mと一般化したのでしょう。


本来は敷地条件と空間の用途を踏まえ

窓の高さや大きさも考慮して

都度、気持ちの良い高さを決めていくのが
あるべき姿かもしれませんし。



おそらく、
壁の下地に張る石膏ボードの寸法とか、

構造材の寸法や
脚立での作業性などから
慣例
化していったと推測されます。



ですので、
天井が2.4mの高さであることは
現代ニッポンの様式美として

認められるようなものでは
本当はないような気がします。

体感覚的な気持ち良さから発生した天井高ではなく、

経済性から導かれた一般的な寸法だからです。

当たり前というのは
よく考えると、
変に思えてくるものばかりだったりします。 


Banksy
本当にチェックしなくては行けないのは誰?


イギリスのゲリラアーティスト集団のBANKSYは、
私たちが当たり前に思いがちな日常に

突如、アイロニカルなペイントアートを突きつけてきます。


Banksy
PARKINGのお尻の3文字を消すと、あら、公園に早変わり。




落書きとアートの狭間。
 

画材屋では買えないキャンパス。


彼の本気の洒落は、

それを見るものに世の中の闇ついて考えさせます。

Banksy
 投げるなら、花束なんてどうだ?


フィン・コン・ウト 戦争の恐怖
フィン・コン・ウトのピューリッツァー賞写真を加工して

Banksy
ナパーム弾から逃れるこの少女を
アメリカの象徴的キャラクターが
笑顔で引き連れている構図に変更しました。


彼が公共物や他人の建物や壁をキャンパスにするのは

彼の反資本主義的な発想、
経済的強者に富が偏ることへの疑義でありましょう。 


Banksy


にしても、
 
 

彼の作品にはユーモアがあって

Banksy
 

見る者をどことなくスッキリした感じにさせてくれます。
 

彼は、きっと
社会や世界というものを
まるでまだ未熟な子供として捉え、

母性を持っておもしろおかしく
諭してくれているようであります。


「そうだよなあ…」

見る人の心の何かを
常にくすぐるのであります。

とめどもないお話でした。
お読みいただきありがとうございました。