皆さんこんにちは。
どうも靴底の減りが早いヨシコシです。
靴も履かずに足裏の肉球で走り回るモクも
大したものです。

日頃仕事でお世話になっている
ホームセキュリティのセコムの某支社長さんは、
若かりし頃、外回りの営業で
ビジネスシューズが1ヶ月で履けなくなるような
下積み時代を経験しているそうです。

そこまでの日常ではございませんが、
私の数少ない宝物の一つに
ニューバランスのランニングシューズがあります。

歩き遍路


25歳の時に頭を剃って坊主頭になって
四国を野宿しながら一周した時に履いていた靴です。

弘法大師こと空海の足跡をなぞらえ歩く四国一周時計回りの旅、
いわゆる四国歩き遍路であります。


歩き遍路 靴


新品のランニングシューズは、
四国一周1200キロの徒歩による1ヶ月の旅行で、
見事にボロボロになりました。
踵はゴム底と本体がパッカリと開きました。
踵が折られているのは、足が腫れて入らないので、
踵を踏んでスリッパみたいにして歩いたからです。



歩き遍路 靴
靴底は黒いゴム層がなくなり、白いゴム層が露出しました。



その靴が私の宝物。
今だに懐かしくて、捨てられません。

歩き遍路 靴


さて、
歩き遍路というのは、
当時の私にとって
肉体ではなく精神の挑戦でした。

社会ですまし顔をする自分。

誰でもそうですが、子供と違い、
大人は心の闇の部分をあえて表には出しません。

社会との、あるいは
自らの心身のバランスを保つのに、
私であれば、
例えば足の短い水枕状の生き物を下位に据え置いて、
自己の保全を図るものでございます。
(はて、モクは私を家来と思っているようですが・・)



遍路道
歩き遍路の道には「へんろ道」と書かれた札があちこちにあり、
お遍路さんが迷わないようになっています。


歩き遍路の醍醐味は、
人からの評価に関係なく、
自分は自分とどこまで向き合えるのか
全ては自分でジャッジする自己との対話にあります。

日常社会とは無縁の場所で、
1日50キロを1ヶ月間、
寝袋で野宿しながら歩き続ける行為を
自分は本当にやり遂げることができるのか。

もうダメだ・・

そんな気持ちが湧き起こった時に
逃げずに突き進む自分がいるのかどうか。
自分の限界というのがどこにあるのか、
それを感じ取ってみたかったのが
当時の歩き遍路の旅のきっかけでした。

いわば自分の人体実験です。


美味しい食べ物といい湯、
素晴らしい景色に素敵な旅館、
心の垢を落とす癒し旅行とは
また一味違った心の旅。

人生に何度かは
そうゆう旅があるのも良いものです。

さて、
勢いよく徳島県の最初のお寺を飛び出した私は、
数日で地獄のような苦痛を味わうことになります。

足裏の土踏まずのへっこみは、腫れて出っ張り、
足は膨張します。
朝、靴を履くのにも全ての靴ひもを緩々に解かないと
腫れた足が靴の中に入りません。

いやはやこれは大変な旅に出てしまったと
数日で痛感することになります。

車で走れば1時間で通り過ぎるような
高知県の海岸添いの国道を2日掛けて歩きました。
景色の変わらない直線的な道を歩いた時には、
チベットの修行僧の五体投地の大変さが
おぼろげにわかる気がしました。
気の遠くなるような進まない感。


ところが毎日歩いていると、

やがて、

八百屋のおじさんが駆け寄って来て果物や新聞をくれ、
通りすがりのおじさんやおばさんが、
「次のお寺で私の分もお祈りしてちょうだい」とお金を持たせてくれたり、
朝、寝袋で目が醒めれば、頭の横に缶コーヒーが置かれていたり。
讃岐うどんを頼んだら何も言わずに大盛りで出てきたり。
夕ご飯を食べている食堂で出会ったその日に家に泊めてくれたり、
ビニールハウスの中に寝床を提供してくれたり、
家でごはんを食べさせてくれたり。

私はやがて様々なお接待を受けるようになります。

見ず知らずの人に自然と親切にする気持ちは
この旅の経験によって純度が増した気がします。

そうして私はいつの間にか
毎日感謝しながら歩くようになっていました。

膝が痛いので、
一週間経って木の杖を買いました。

お遍路さんの杖には山道で蛇に襲われないように
鈴がついておりました。
突いて歩いているうちに、木の杖は削られてかなり短くなりました。
(祖母にお土産としてあげたら、ちょうどいい長さに)

ある時、

夕暮れ時の山道で、
おどろおどろしい雰囲気に包まれた一帯を走って
駆け下りたこともありました。
40キロを過ぎてからの山道のランニングは
キツいものです。

山道がだんだんと暗闇に覆われてきますと、
鳥や虫が、喜々として騒ぎ出し始めます。
自分だけが暗闇で視力を失い、
山の中にいる動植物の中で
自分だけが異分子のよう。
徐々に孤立を感じ、恐怖感が芽生えてきます。
人間の優越感など微塵も感じられなるのが
夜の山の怖さです。


またある日、

残りあと僅かで足早に香川県のお寺を背にした時、
道端に胡座をかいて座っているお遍路さんに会いました。
ボサボサの脂ぎった縮れ髪の長髪の男は
前歯が何本か抜けた口元をニヤリとさせながら話しかけてきました。

「おい、ここまで何日かかった?」

私は(当時もアホでして)誇らしく、
「はい、今日で22 日目です。結構順調なペースでここまで来ました!」
と意気揚々に答えました。
「フフ、で、宿はどうした?」
「野宿です」
「それはなかなか大したもんだ。だがな、早くお遍路を終えようとするのは
おぬしは結局、お大師様から逃げようとしているっちゅうことじゃ。」
「(ぎくっ)・・ここにはいつ頃からいるんですか?」
「ここは今日で3日目だ。こうして1日ここに座っているだけでな、
千円かそこいらは金が貯まる。そしたら2、3日は生きれる。そしたら隣の寺へ向かうのよ。
ここに来る山道の途中で庵があったじゃろ。俺はあそこに2年住んでいた」
「えっ2年ですか!お遍路さんを2年もやっているんですか!」
「いや、お遍路は8年だよ」
「8年もですか!」
「そうじゃ」
なんともインドの行者のような生き方を、国内で地でやっている人もいる。
こんなことが今の日本でありえるのか。私は衝撃を覚えたものです。

通常、
お遍路さんは順々にまわるお寺が重要とされております。

でも私が思うに、
歩き遍路の凄さは、
お寺とお寺を結ぶ線の中で起こる様々な経験にあるのだと思います。

歩き移動する軌跡の中で、
時に物思いに耽り、
肉体の限界に挑み、
時に無意識に鼻水と涙がだだ漏れとなり、
足を引きづり、
人に影響を受け、
何かを感じ取る。

私は八十八ヶ所目の結願寺まで24日間かかりましたが、
その旅は日本にいてインドを放浪するに等しい
毎日を送ることができました。

今思えば、
同じことをもう一回できるかの自信はありませんが、
今だに強烈に心に残っている
忘れられない1ヶ月間です。

実は、
その当時の私の旅の様子が
少しだけ記されている本があります。
これも数少ない私の宝物です。

阿波侍 塔さん文芸帳抄 後藤修三

当時、徳島新聞でエッセイを連載していた徳島大学の後藤教授が、
歩き遍路をしながら四国の田舎酒屋を訪ね歩き、
古いウィスキーを買い集めて歩き回る
風変わりな歩き遍路について書き留められておりました

後藤教授は
ずいぶん前にお亡くなりになられてしまいましたが、
この本に掲載されている201編のエッセイのうち、
一番最後のエッセイが19年前の私の旅についてです。

四国の歩き遍路はぜひ時間のある若い方に
おすすめしたいと思います。

あらためて
当時の四国で一介の歩き遍路にお接待を施してくれた方々には、
この場で心より感謝申し上げます。

えっまだ精進が足りない?

はい。

それはよーーーーく、
分かっております(苦笑)。

お読みいただきありがとうございました。